言語療法

両親

2018年4月11日

父はお風呂に入れてもらったらしい。この病院のお風呂はとても気持ちいいらしくて、今日はすこぶるご機嫌である。

昨日につづきFaceTimeの時間。今日の両親の会話。


母:立てたか
父:一人では立てへん
母:歩けたか
父:歩けへん


なんだろうなあ、この会話。

この後、言語療法が始まった。私も一緒に行って見学させてもらう。言語療法と聞いて、話をする練習かと思ったけれど実際には記憶の練習、みたいな療法だった。療法士さんが二つの単語の組み合わせを10組読み上げ、父がどれだけ覚えられたか、をチェックしていく。

タンス 押入れ
ライオン トラ
スイカ メロン
公園 ベンチ
マラソン 駅伝
タオル 石鹸
砂糖 塩
長靴 傘
海 山
お茶碗 お箸

さて、いくつ覚えられたかな?介護士さんが、タンス と言う。父が続けて 押入れ と言えれば正解である。一回目はほぼ全滅。ひとつも答えられなかった。続けて二回目、三回目と繰り返し、答えられる数は3つ、5つと少しづつ増えていく。

次に一部が抜けている図形を見て、抜けた図形がどれかを当てる問題。これも時々間違えて、しかも答えるまでにかなり時間がかかる。複雑な図形はお手上げ状態だった。

時間いっぱいまで訓練を繰り返し、終わった後で、父は言う。

   今日は朝、浣腸されてお尻が痛くて集中できなかった。

これはプライドかな?記憶、認知のテストで成績が悪い、なんて認めたくないように見える。病気をする前の父は強くてなんでもできる頼れる男だった。急激に変わってしまった自分自身と環境に追いつけないのは当然だと思う。

急激に変わる。歩けなくなる。できたことができなくなる。脳梗塞とは残酷な病気だと思う。状況の変化を受け入れていくのは大変なことだ。家族以上に本人自身が。

私も父の変化を毎日、見ていて自分で思うより疲弊している。ショックも受けている。ショックを受けていることを認めるしかない。そして、父のできないことを数えるのをやめなければならないと思う。まだできることと、これからできるようになることだけを数えていかなければ、つらいだけだ。母にも父のできなくなったことや状態をいちいち報告するのはやめようと思う。今、私にできるのは父の気持ちに寄り添っていくことだけだ。と、決意表明をする。繰り返しくじけるだろうけど。

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