2018年3月20日 つづき
母からの電話を切って5分後、私は母に電話をかけた。
診療所に電話した?どうだった?
かかりつけ医の先生は、脳卒中かもしれないからすぐに救急車を呼びなさい、とおっしゃったらしい。観念した母は119番に電話して救急車を呼んだらしい。搬送先の病院がわかったらすぐに電話もらえるように伝えて、私は大急ぎで家を出た。靴をはきながら弟に連絡を入れる。当然ながら仕事中の弟はなかなかつかまらない。
大変なことになった。こうなると、この先に何が待っているか全くわからない。命の危険もあるし、後遺症の程度によって生活の全てが変わってしまう。いろいろなことを次々に考えてしまうけれど、何もわからない時にどれだけ考えてもどうにもならない、あたりまえながら。
すぐに母から折り返しの電話があり、父が第二日赤病院に搬送されたことがわかった。第二日赤病院は私が生まれた病院である。偶然ながら私の夫も第二日赤の生まれである。バスで行くのか地下鉄で行くのか、考えるのが面倒なので京都駅からタクシーに飛び乗り病院に向かった。
病院の救急外来前に到着すると、職場から近かったためにすぐに来ることができた弟と不安そうな母が二人で座っているのが見えた。まだ検査中で、状況が何もわからないらしい。わかっているのは父の右足が麻痺していることだけ。不安なままゆっくりと時間が過ぎていく。
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